義母の祈りの中で~Ernestさん

 

~~溺れたわが子~~ 

 

主人と友人とその家族で、毎週日曜日、朝5時には家を出て、湖で水上バイクを楽しんでいました。

あの日も、日が昇る頃には湖にいまして、当時2歳の子供も水遊びを、朝7時頃から楽しんでいました。
 
私は、妊婦でしたので水に入らず、子供が遊んでいるのを見ていました。
子供は朝から水に入ると上がることもなく、夢中になって遊んでいました。
私はお昼頃にトイレに行きたくなり、主人に「トイレに行くから子供を頼みます」と言って
女性二人で行きました帰ってくると、辺りが騒然としていました。
2歳くらいの子が溺れたらしい」の声が聞こえてきました。
主人にお願いしてあるのだから大丈夫だと、自分の子供とは全く思っていませんでした。
ところが、一緒に来ていた友人の一人が駆け寄ってきて
「OOちゃんが溺れて・・・ 今は見ないほうがいいから」

と言って、友人と 二人で、私の両脇をかかえてくれました。

その友人たちの手が震えていて、その方が心配だったのを覚えています。

自分としては、気持はしっかりとしていました。

それは現場を見ていないのと、友人達が身重の私を気遣ってくれていたから、落ち着いていられたのだと思います。

 

少しずつ近づいていくと、人だかりの中心で、主人が子供をさかさまにして水を吐かせていました。
また、湖にレジャーに来ていた人達の中から医療関係の方、救急処置のできる方などの助けを借りて、
救急車が到着する頃には、意識はないけれど、呼吸をすることができるようになっていました。
救急車で、隊員の方から「とにかく声をかけ、名前を呼んで下さい」と言われ、呼び続けました。
山間の病院で仮処置をしていただき、再び救急車に乗り大きな病院へ運ばれました。

病院では、ICUに入りましたので面会の時間も限られ、時間の制限もあり、

広い待合室で、主人と数人の友人と私とでいました。

 

~~義母が駆けつけて下さって~~ 

そこへ、東京から主人の母が駆けつけてくださったのが、夕方の6時くらいと思います。

主人の母は、生長の家にふれて、間もない頃だったと思います。

朝、道場に早朝神想観へ通い、朝夕には、仏壇の前で聖経をあげておられる姿を毎日拝見していました。

 

義母が病院に到着した時に、私の気持ちが、これで もう 大丈夫の思いになりました。

義母の姿を見ただけなのですが、ものすごく安心したことを覚えています。

 

現象の子供は、ICUで意識も戻ってなく、歯をくいしばっている状態でした。

義母は、到着すると直ぐ、病院の待合室の椅子に正座し、神想観をして、聖経を唱えて下さいました

 

夜の9時頃、看護師さんが「意識が戻りました」と呼びに来られましたので、

主人と、義母と私の三人でICUに入らせていただき子供と面会しました。

酸素マスクと管の付いた小さな体はまだ眠そうにしていました。

 

溺れる前、子供は、朝起きてから食事もせず、唇がムラサキになるほど水遊びに夢中になっていました。

疲れて、水の中で眠ってしまったように思っていましたので、時間が経てば起きてくるとも思っていました。
 
この意識と、義母が来て下さったことで、もうこれで大丈夫と強く思えたことも、とても不思議な体験でした。
 

 

~~感謝の気持ちで聖使命会費を~~

 

義母は毎日、神想観と朝夕の聖経読誦とお祈りをされていましたが、この頃の私は、義母から言われて、

主人と私と子供、私の両親の聖使命会費を納めていただけで他には何もしていませんでした。
 
この出来事の後、感謝の気持ちで、主人を特志会員にさせていただきました。

それから子供を水から救いあげてくれた友人ですが、その方は最初、

私の子供が着ていた派手なジャンバーが浮いて流れていると思い、拾おうと水に入っていきました。

すると、私の子供でしたので、びっくりして自分のお子さんを抱えたまま、片手で抱き上げて下さいました。

その恩人を什一会員として20年間納めさせていただきました。
 
いろんなことが重なってすべて良い方に動いたこと、

そして何より、義母が祈ってくれたこと、本当にありがたいことと感謝しています。

 

~~ 義母の後を継いで~~

 

おぼれた子供も当時お腹にいた子も成人し、私は、定年となった義母の後を継いで、支部長を拝命しました。

これからも、義母や主人、家族や周りの人々、天地一切の人、物、事に感謝の気持ちを忘れずに、

地域の皆さまと共に、み教えをお伝えしていきたいと思っています。

 

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